どうにもならないことを受け入れる

どうにもならないこと。
過ぎてしまったことや起こったこと.
そして最たるどうにもならないのは人の心。どんなことをしても変えられない。
誰でも多かれ少なかれ生きていれば起こるどうにもならないこと。
そんなどうにもならないことを受け入れる意味を考えてみました。
受け入れることで苦しい気持ちが変われることがあります。

パセリ
10年の海外生活、介護福祉士を経て、現在は整体師として働いています。
体や心の不調の経験から、健康のために色々な方法を勉強して実践
取り入れて良かったものを、自分のサロンの中でもお伝えしています。
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どうにもならないことを受け入れる=変えようとしない

どうにもならないことの多くはやっぱり人間関係でしょうか。
一番多くて一番厄介なものかもしれませんね。
どうにもならないことをなぜ受け入れるのか。
自分を苦しめないためにです。
受け入れるとは
人の心はどうにもならないものです。
自分の心ではなく人の心は見えないし動かせるものではありませんね。
どうにもならないことです。
受け入れるとはどうにもならないことを変えようとしないことです。
変えようとしないというのはそのままにすることだと私は思っています。
放っておく。これが一番自分を苦しめないことです。
例えば、好きな人がいる。
私がこうしたことで悩んでいた時代にSNSは何もありませんでした。
なかった時代に比べるとSNSは便利でありながらも
どうにもならないことへの思いを一層深くするように思えます。
LINE。既読されたのがわかるのに一向に相手からは返信が来ない。
”既読になっているのにどうして返信してくれないの?”と
ずっとスマートフォンから目が離せないまま。
何も手につかず時間だけが過ぎていく。
どうして返信をしてくれないのか…。
これは人の心です。見えません。わかりません。
どうにもならないことです。
相手にも都合があるでしょう。忙しいとか出先だからとか具合が悪いのかもしれないし。
またはそもそも返信をする気がないのかとか…。
そんな見えないわからないどうにもならないことを勝手にあれこれ想像していても
時間の無駄になるだけではなく自分が苦しいだけです。疲れるだけです。
どうにもならないことを変えようとしない。
どうにもならない人の心は放っておくことです。
私の持論では、そもそも返信をしてこないということは
気持ちがないからです。
逆を考えれば見えるのではないでしょうか。
自分にとってそんなに大事な人でなければ
”後でもいいか”となることありませんか。
そういうことです。
それがどうにもならない人の心です。
人の心が最たる恋愛においては
去る者は追わずで来ないものは放っておく。これに尽きます。
追われるほど人は逃げたくなるのだから。
だからそんな人の心ほどどうにもならないことで貴重な時間を無駄にしないで
その時間に好きな映画の一つでも観るとか本を読むとかしていると
自分に磨きがかかって、返信もしてこない人なんかよりも素敵な人との出会いが
やってくることってあるんですよ。
見えなくてどうにもならない人の心に時間を使うのではなく、
自分らしさを大切にしていると、自分のことを悩ます人のことなど
どうでもよくなります。
どうにもならないことよりも自分らしさを見つけることをしたほうがよっぽどいいです。。
自分らしさが持てて自分を大切にできるようになると
どうにもならないことを受け入れて悩まなくなります。
自分らしさ見つけてみてください。
そのためにこちらの記事も読んでみてくださいね。

どうにかなることとどうにもならないことがある
物事にはどうにかなることとどうにもならないことがあります。
・どうにかなること=自分でなんとかできるもの コントロールできるもの
・どうにもならないこと=変えられないもの コントロールできないもの
どうにかなることには二つあります。
一つ目は努力をしたり知恵を絞ったりお金を使ったりと自分に出来ることをすれば
どうにかなることです。
二つ目はたとえ過ぎてしまった過去のことでも、まだ見ぬ未来に対することでも
自分の思考でどうにかなることです。
”思考は行動を作る”と言います。これは本当です。
例えば、”自分はなんてダメな人間だ”と自分でいつも思っていると
行動も前向きにはなれず物事もうまくいかなくなります。
人は目に見えないものに不安を持つものです。未来。
その未来をどうにもならないことにするか
どうにかなることにするかは自分の思考です。
つまり良いイメージを持てば行動もそこに向かうので心は明るくなります。
どうにもならないことは放っておく。
放っておいて受け入れるのです。
どうにもならないことに目を向けがち
なぜか人はどうにかなることには熱心にならず
どうにもならないことに目を向けがちなんです。
”何とかしてやろう” ”何とかしたい”ともがいたり闘ったり。
それが自分の中に苦しみや不幸を作ってしまうのです。
悩みの種って他の誰でもない自分が蒔いているものです。
詩人であり書家の相田みつを氏の言葉に
”しあわせはいつも自分の心がきめる”というのがあります。
自分がしあわせだと思えばしあわせ。
自分が不幸だと思えば不幸なんです。
どちらも自分の心の中にあるものです。
だからどうにもならないことにばかりに目を向けていると
自分の心の中に不幸を作ってしまうのです。
何が起こるかわからない未来に不安を持つ人がいます。
同じ未来のことでも前述したように自分の心や思考で前向きに明るく捉えることができます。
それはどうにかなることです。
自分の思考を前向きにして未来の自分のために
ポジティブな言葉を自分に投げかけます。
一方で同じ未来に対しても
世の中の経済情勢の悪さや自然災害などといった自分の努力ではどうにもならないことがあります。
そうしたどうにもならないことに不安を持って過ごす人がいます。
時間の無駄なのです。どうにもならない不安の中に自分を埋もれさせていても
どうにもならないのです。
だからそれよりも自分のために自分に良い言葉をかけて
どうにもならないことはそっと放っておく。それが受け入れるということ。
どうにかなることに目を向けて自分の出来ることをしている方が
自分が楽でしあわせでいられます。
だから前向きな思考やポジティブな言葉を使うのは大事なことです。
どうにもならないことよりも前向きとポジティブについて知ってみませんか。
こちらの記事も読んでみてくださいね。

どうにもならないことを受け入れる=受け止め方

どうにもならないことを受け入れるのは自分の中に苦しみを作らないためです。
けれどどうにもならないことを受け入れるってやっぱりむずかしいかもしれませんね。
そこでどうにもならないことを受け入れるためには、そのことの”受け止め方”が
大切になります。
起こることにはすべて意味がある
ちょっと哲学的な言い方になりますが、自分に起こることすべてには意味があります。
意味のないことってないのです。
人は起こったこと、どうにもならないことに悲観したりどうにかしようともがいたり
じたばたしてしまうものです。
そんなふうに自分を苦しめないためには、自分に起こることには
すべて意味があるのだと受け止めるのです。
どうにもならないことを受け入れるために受け止め方を持ちます。
なぜ”それ” ”これ”が起こったのか。
受け止め方を持って受け入れることができないと
どうにもならないことから自分が何も変われないからです。
ただ悲観したり悩んだり悲しんだり。あるいは何とかしてやろうと闘ったりしても
どうにもならないからです。
”どんな意味があるのだろう”と受け止め方を考える。
それでいいんです。ただそれだけです。
そして今自分がやるべきこと、できることだけをするのです。
どうにもならないことへのざわざわした気持ちを離すことができます。
どうにもならないことでもどこかにつながっている
どうにかなることの一つとして未来への思考と併せて過去のことへの思考というのを
前述しました。事実というのは絶対に変えられません。
けれど事実の受け止め方は変えられます。
自分の努力などではどうにもならないこと。
例えば、生まれ育った家庭環境。親兄弟姉妹。学校ではどんな先生に教わったかなど。
またはすごく好きだった人にふられてしまった、想いが通じなかったなど
どうにもならない人の心。
その時って辛いですよね。でも受け入れないと何も変わらないのです。
受け入れるためにここで受け止め方が必要になります。
すべてのことには意味があって、”いつ”なのかはわからないけれど
その事実は人生のどこかに必ずつながっています。
例えば家庭環境。
喧嘩の絶えない両親のもとで育っていたら、それを不幸だと思うのではなく
”絶対に幸せな家庭をつくろう”と思えます。
過去に大好きだった人にふられたけれど、今は最高にいい人に出会えて幸せ。
”この人に出会うためにあの時ふられたんだ”…と。
このようにどうにかなることでもどこかにつながっているものです。
それはすぐなのかもしれないし、10年後か20年後かもしれない。
でも生きているとあの時のことはこのためだったんだという時が必ずあります。
生きている年数が私のように長くない若い人たちにとっては
それはまだまだ見えてこないかもしれません。
どうにもならないことを受け入れるために、その時はわからなくても
すべてに意味があるんだと受け止め方を持つことが大切です。
だから今どうにもならないことをどうにかしようとするのではなく
そっと放っておいて受け入れてみてください。
どうにもならないことを受け入れる=その日を生きる

どうにもならないことの最大の一つに大切な人を失くすということがあります。
これは受け入れがたいですね。
親子であれば親が先に逝くのが順番だとしても、やはりそのときを迎えてしまうと
受け入れられないものです。
あるいは不慮の事故などで突然愛する人を亡くした時。
どうしたって受け入れられるものではありません。
これはもう時間しかないんです。
仏教では大切な人愛する人を亡くしたというどうにもならないことを
受け入れるには痛みを伴うと言っています。
けれどその痛みを越えてその事実を受け入れることが亡くなった人への供養となると説いています。
そのどうにもならないことを受け入れるためには
その日その日の一日を生きるしかないのですね。
時間の経過とともに一日を生きることがそのどうにもならないことを
やがて受け入れることになるのではないでしょうか。
どうにもならないことを受け入れる|まとめ
自分の努力や力ではどうにもならないことを受け入れるということについて
ここまで見てきました。
ここに書かせていただいたように、そんなどうにもならないことに
辛い思いをしたり悩んだりとそこに使うエネルギーと時間が無駄なんだということを
お伝えしました。時間の無駄というのはなぜなら、
当たり前ですが今日という日は今日しかないからです。後にも先にも今日だけなのです。
20歳の誕生日が一生に一度しかないのと同じです。
たった一度しかない今日をどうにもならないことに費やすのが無駄だからです。
けれどその一方でこの記事を読んでくださっているのが若い方なら
私はどうにもならないことに悩んでも良しと思っています。
どうにもならないことに悩んだり悲しんだりすることで後から見えてくるというのも
あるからです。
ただ人を変えようとする闘いだけはしない方がいいです。
人を変えようとすることほど無駄なことはないです。
人生の中で悩む時期ってあっていいものです。
辛いこと悲しいことの痛みを知るからこそ自分の成長とともに
人にも優しくなれるものです。
どうにもならないことを受け入れるというのは、物事をねじ伏せることではありません。
受け入れることができないうちはたくさん悩むのもありだと思っています。
でも必ずその先には見えてくるものがあるということだけは
心に留めておいていただけたらと思います。
たった一度の人生を悩んだり泣いたり笑ったりと
楽しめますように。